幸せってなんだろう?

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[2010/3〜]

[1]あなたは素晴らしい。 そして、僕も素晴らしい!笑

冗談じゃなくて、ホントに素晴らしい存在なんですよ、僕らって。

そんな素敵な私たちが愛を振りまいたならば、嬉しく感じる人って、一体どれだけいるのでしょうか?35億?

そして不思議なことに、そうやっている間、なぜか私たちは幸せなんですよね。

 

[2]物質的に恵まれているから幸せと考えるのは視野が狭いと言えましょう。

いろいろある人生だからこそ、貴重な体験が多くできるのです。

「オイラ(アタイ)の人生、順風満帆じゃなくて良かった!」

と、心から思える頃には、不幸を喜ぶ変態完成・・・ じゃなかった、何が起こっても幸せは揺るがない。


でもまぁ、過ぎ去った日のことなど、それが栄光であれ挫折であれ、まるで他人事のように感じるくらいでなければ、今を生きていると言えないのかもしれませんが。 幸せを感じることができるのは未来でも過去でもなく今だけ。それが理解できた時、幸せは一気に押し寄せますよ。

 

[3]あなたの財産の大小が「幸せ指数」をそのまま示しているでしょうか? そんなことなんて絶対に無いと、お金に執着して何かしらの方法で大きく儲けた方ほどそのように感じているのだろうと思います。 目の前の生活に行き詰っている場合は別としても、この頃の私たちが切に願っていることといえば自己の向上など内的なことであって、極端に資金を集めることなどには何の意味もないということに多くの方々は既に気づいているのだろうと感じます。 もしかすると、さすがに望まないことは避けるにしても、なんでもかんでもやってみる、新しいことに挑戦してみる、と、そんな己を成長させるようなエキサイティングな行動が私たちの幸せに繋がるのかもしれないと、そのように感じるのです。

 



[2020/4/16]

幸せが怖い?

幸せだった分、不幸が訪れる? そんなことってありますかね?

±0、それを言ってしまえば、幸せ論議なんて意味が無くなっちゃいますけど、既にここまで読み進めていれば分かると思いますが、自分自身でリミットを掛けなければ、幸せに上限なんてないですよ。 さあ、どんどん幸せになっちゃってください!

 

[2020/1/31]

誠実かどうか?

自分は誠実なのか

パートナーや家族は誠実なのか

我ながら馬鹿だなと思うくらい誠実であれば、或いは身近な方が誠実であるならば、生きていることへの満足感は高まるのではないでしょうか。

 

[2019/8/15]

お盆、午前10時40分すぎ、子どもたちはまだ起きてこない。

 

寝すぎかというとそうでもなく、単に夜中にいつまでも起きているからであって、休みの前日とか、テスト期間中には恒例となって久しい。

 

セロトニンが分泌される時間帯を考慮すると、特に成人するまでの間、夜は寝た方が圧倒的に良いだとか、そんなことをいくら言ってみたところで何も変わらないのだから、おそらく本人たちは全て承知の上で未来を見据え、頑張って遊んでいたりするのでしょう。

 

 

このページの冒頭で書いているのですが、

「幸せを感じることができるのは未来でも過去でもなく今だけ」

という、船井さんの言う三大戒め 「今だけ、自分だけ、お金だけ」 とは少し角度が違うだろうと、そういった解釈で私が 「今だけ」 と書いていると言い訳させてもらいつつ、この「今」をよく考えてみますと、かなり深く「幸せ」に繋がっているんじゃないだろうか?なんてことを思うのです。

 

「お金」、「物」、「人との関わり」 などの有無によって、幸せかどうかを決定づけるようなやり方は最早通用しないと考えているのですが、そこで思ったのは、「今」、或いは、「未来が今になる時」に充実した瞬間であるならば、それは瞬間ではあるものの十分に幸せな状態だと言えるのではないだろうか?ということです。

次の瞬間も、またその次の瞬間も同じように訪れることとなれば、ずっと幸せを感じることができますよね。

 

これを実現するための方法としては色々と有るのでしょうけれども、未来から川の水のように流れて来るような「今」をしっかりと捉えるためには、少なくとも 「時間を大切にする」 ということがとても大切になってくるように思います。 そうしますと、幸せに対する考え方が大きく変わると同時に、自ずと幸せにつながる振舞いをするようになってくるのではないでしょうか。

 

[2019/7/11]

幸福度とは、国別で見ればどちらかといえば・・・ いや、言い方は悪いかもしれませんけど圧倒的に 「貧しい国」 が高ポイントですよね。 今より次、今日より明日、と、未来に希望を持てる状態が幸福感をもたらすということを単純に示しているものだと思うのですが、成長しきってしまい今後は僅かな成長しか期待できないような現代日本において、今日の延長線上に明るい未来が見えている方はどれだけおられることか・・・? 明るい未来どころか暗い未来がチラホラと見えてしまいますよね、クッキリですか?

 

快適であったり機械化が進むことなどによって平均寿命が高くなってはいるものの、そのことによって幸福になることは無いということで、高度成長期・大量生産時代に信じられてきたことはそろそろ忘れるべきです。

平成に入った頃には既にGDPの伸びと幸福かどうかはリンクしなくなっていたと思いますよ。 そもそもGDPが伸びて喜ぶ階層が変わってますしね。

 

(自虐↓)

私の本拠地福井県が 「幸福度ナンバー1」 なんだと、県やメディアは頻繁に自慢やアピールをしているのですが・・・、天井知らずの「今日より明日」状態 であるわけもなく、もしかすると 「全国的に見てまだ成長しきってない状態」 か、若しくは 「未だ貧しい状態」 ということになるのでしょうか・・・?

そもそも、この日本に住んでいて 「自分のいる場所は最も幸せな県に選ばれました!」 なんて言って喜んでいること自体、どうかしていると言いますか、幸せとはどういう状態なのかについて考えることをやめて、自分が幸せかどうかということを第三者の適当なスケールで測ってもらい、それをそのまま受け入れてしまうという、まあ、頭の中は幸せと言えるかもしれませんけど、完全な思考停止ですよね。 そう思いますけど。

でもまあ、県固有の良いところもいくつか(※たくさんとは言わない)あるんですけどね。

(自虐終わり)

 

経済成長と幸福度に関連性は無いと、まあ、そうであるのでしたら、どうすれば良いのか、少し見えてきますよね。

 

私たちはそういうことを真剣に考えている政治家を選ぶだけです!

(チョ・・・

 

[2018/11/30]

「何を」 というわけではないけれど、何か買おうと思って、結構長い時間大手ネットショップを覗いていたのですが・・・  あ〜 欲しい物なんて何もありゃしない! ←こんな 自分が少し寂しい。。。

 

 

さて、今回はちょっと核心に触れてしまうかもしれませんね。書く前からそんな気がしています。まだ書いてもないというのに。

 

凄く当たり前のことですけれども、私たちはお金のために生きているんじゃありませんよね。 ん? ホントにそう?

 

まあ、何かしら大切なことを実現するにしても、まずは食べないことには話になりませんので、お金は必要だ、と、そうなります。

子どもたちの将来のためにも先行投資が必要だとか、電気代がどうだとか・・・

そういうふうに考えるとお金って必要ですよね。

 

しかしまあ、信用そのものとして相当便利に使える等といったお金が有する機能よりも問題となるのは、一生懸命働いたとしても結構な格差が生まれてしまうシステムだということ。 それどころか、深刻な場合には殺人事件に発展する原因となることもある思考破壊ツールでもありますよね。  海外ではもっと酷いことになっているのでしょうか? 思うに、この先、貧困、格差は決して無くなりませんよ。 食べることが主目的なら、食べることのできる量なんて格差といえるほど差はないというのに。。。、

 

と、そういう認識でいるわけですが、先ほど、ふっと頭に浮かんだことがあります。 共産主義とか社会主義とかそんなのではない、ん〜  何主義って言ったらいいんだろ? ま、名称なんてなんだっていいんですけど。

 

 

もしかすると、その気になれば世界中の貧困や格差なんてものを無くすくらいの食糧生産手段は既にあるんじゃないでしょうかね? 

AIなどテクノロジーの進歩も凄いんじゃないですか? ドラマ「下町ロケット」を見た影響でしょうか!? 丁度先日、無人の農業用機械が。。。

 

もし、「食べる」 という必要なことを満たすことが必死に努力しなくても実現できるとして、その食料を個々がお金で調達してこなくても過不足なく分配されるとしたならば、貨幣経済から卒業することだってできそうですよね。  食料だけでなく、これまで対価を支払わなければ手にすることができなかった商品でさえも無料だとしたら・・・。 そうなった時、ようやく人間らしい生き方がどういうものなのか、考え始めることができるのかもしれません。

 

そうは言っても、誰がその食料を作るのか、教育・研究の分野はどうなるのか? これまでの貨幣経済の中で動いてきた全ての企業は一体どうなるのか?  対価がないと人は頑張らないものなのか? 等々・・・

思いをそこまで巡らせてみたのですが、例えば、一つの会社の中を見てみますと、部署ごとに違うスキルや物資などをそれぞれが持っているわけでありますが、それを貨幣を介さずに最良・最適の物を必要な場所に充当するなどして、全体を作り上げていきますよね。 昔の 「村」  とはこんな感じだったのでしょうか。 

それを世界に当てはめてみると、その先どうなるのか? お金が無くても生きていけるとなれば、何もしない人もいるでしょうし、やはり悪いことをする人もいるでしょう。 でも一方では、最新技術を容易に適応することができたり、最適な材料を簡単に仕入れることができたりと、あらゆる障壁が取り除かれることによって、これまでの仕事が趣味レベルの楽しいものになると同時に、研究開発分野では飛躍的な発展を遂げるに違いありません。 私には、一人ひとりが現状とは比較にならないほど喜びに満ちた素晴らしい日々を送る未来が見えています。

 

どうです? ここに書いていない続き、まだまだあるけれど考えれば考えるほど楽しいです。 

現状では実現可能性が低いと思われるこの妄想、一度やってみることをお勧めします。

 

[2018/10/21 第二章]

「幸福度ナンバー1」 とされる福井県に住みながら、私の周りでは 「私は幸福だー!」 なんておっしゃる方はいませんね〜。 どこかにいるのかしら?

 

ここまでいろいろ書いてきて、たまに自分で読み返した時には 「なかなかうまく纏っているんじゃないだろうか?」 なんて思っていたけれど、それでも、どういうわけか驚くほど長い歴史を持つ人類が、自分や周りが幸せになる方法を未だ極めるに至っていないどころか、全然分かっていないなんて、不思議に思わずにはいられません。 私が感じ、思い、考えてきたことなんて、長い歴史の中ではちっぽけすぎて、もしかするとここに書いていることは全て無意味なのかもしれませんね。

 

そこで、過去歴史上ではどうだったのだろうか? と考えてみました。

何も無かったのかもしれないけれど、もしかすると、宗教が幸せを導く役割を担っていたのではないか・・・ なんて。 他に世界的に拡がっている事柄が思いつかなかったというのもありますが。。。 まあ、宗教が世界的に必要とされたことを考えますと、その可能性が無いとは言えないような気がします。

 

宗教がらみで争いが絶えない現代でこんなことを考えるのは変な感じがしないでもないですが、だからといって宗教が戦争のために開発されたわけではないですよね。 それどころか、人々から圧倒的な支持を得た現実を見れば、そこでは 「幸せになれますよ」 という予言に留まらず、「幸せ」 が実現されていたのではないだろうか? と考えてもおかしくないでしょう。 それも、短期的なものではなく、長期に、代々にわたって効果を上げていただろうと予想することができます。

 

 

まあ、今は最初の最初、気付きの段階ですので、「なんとなくそうなんだろうなぁ〜」 という程度でしかありませんが、私がそう感じる時は結構当たっているものですから、この方向で少しづつ突き詰めていこうと思います。

なお、これは、神様への信仰の有無がどうだということよりも、それぞれの教義等が指し示す 「正しいこと」 の実践といいますか、そういう 「あるべき思いや行動」 が私たちを幸福へと導くのではないだろうか? ということへの探求の始まりです。

 

[2018/6/14]

え〜 今回は久しぶりなので二つ

 

@傲慢さがもたらす不幸。 これは傲慢な人を傍から見ていますと悲しいほどに分かるというのに、一旦自分がその状態になってしまうと不思議なことに全く分からなくなってしまうものなのだろうと思います。きっとそう。多分そう。そうじゃないと説明がつかない。だから、傲慢になってしまうその前に、そうならないように気を付け続ける必要があると思います。 人は皆平等なんだ、と。

 

Aお金に関して、実際の状態よりも別の要因が心を不安定にします。それは、喪失感といいますか、いや、別の言葉がいいんだろうか、何だろ? 例えば、何らかの事情によって財産が目減りした時に感じるもの。 えっと、ギャンブルでも普通の仕事でもいいんですけど、最初は何もない状態から始めて、1年後に100万円、2年後に200万円、と順調に手持ちが増えている最中にギャンブルで負けるなり詐欺に遭うなりして50万円目減りしたとします。現在の手持ちは150万円、嗚呼、なんてこった い!!!!

この時、手持ちが100万円だった時には感じることがなかった ”不幸” を感じているハズです。 それどころか、何も持っていなかった時よりも ”不幸”だと感じているかもしれません。

 

手持ちは少なくても、損失がなければそれほど不幸は感じないことと、一度高くなった財産レベルが自分の標準点に変わってしまうというダブルパンチで不幸感が襲ってくるのでしょうが、こういう場合に不幸を感じてしまうということを理解して、まあ、本当は大したことないということを早めに自覚するべきですね。

もし、手持ちがマイナスになってしまったら・・・ また元に戻せばいいじゃないですか。  生きてさえいれば、絶望的に思える大震災の後であっても復興を遂げることができるパワーが私たちにはあるのですから。

 

 

[2016/4/16]

上の内容は今気づいたけれど結構重要では? 過去オール善?聞いたことある!?

あとは、健康状態が良くないと、どうしても精神状態まで悪くなりがちなので、何をするにも体調に気を配りながらが基本(若い時からね)、仕事で無理をして身体を壊す人は何度でも繰り返す傾向が・・・(⇒自分)

 


(▲まだまだ途中記事です)

 

なんとなく纏まっていること。

1.幸福な状態が幸せととらえるのではなく、不幸な状態も幸せととらえれば良い?

2.ヒトは自分と同じことを感じたり考えたりするわけではない?

3.ヒトと比較する方法では、幸せになれない?

4.済んだことを忘れる(良かったとすり替える)


ふと、欲しがることが不幸への入り口となっているのではないか? と感じたのですが、どうでしょう、当たっていませんか?

まぁ、なんだかんだ言って、実際は生きてるだけでも充分に幸せなんですけどね。

 

一方、環境から見るとこんな感じですか↓

社会(不条理)+対応(誠実or不誠実) ⇒ ?

結局うまくいく人というのは・・・。 ああ、ネガティブ。。。

 

 

 

[2015/9/17]

クヨクヨすること、腹立たしいこと、悲しいことなどの原因は過ぎ去った過去に起こったこと。これを引きずることに意味はあるのか?

頑張ったら解決するのだろうか?

もしかして、自分を傷つけるだけではないのか?

 

[2015/4/30]

PTAの総会を明日に控え、なんとなくふと、ですが、このページを作成ソフトで開いて読み返してみた。

ああ、そうだった。といったように、このページの内容は自分で書いたくせに忘れちゃっていることもあります。

たまに読むようにした方がいいかもしれないですね。

 

[2014/10/22]

単純なようで複雑、これだけ書いても纏まらないのは実は複雑だということですよね。 そもそも、複雑にできたヒトの脳が幸せを感じるプロセスが複雑であることなど当たり前でして・・・。

単純化することがいいようなことを誰かがおっしゃってましたが、複雑であったり難しいことを何でもかんでも単純化してしまうと、どこかで歪ができちゃって、どんどんおかしな話になっていっちゃいますよね。

 

 

 

 


 

このサイトでは、健康食品などの販売をメインとしています。


そこで


「健康で幸せな毎日を!」


と、書いたりしていますが、一体、「幸せ」ってどんな状態なのでしょうか?



なんとなく、不健康であれば「幸せ」が遠のいていくような気がして使っていましたが、実際には健康を害していても幸せである場合もあれば、超健康であっても不幸だと感じている方もおられるでしょう。


ストレスが過ぎる場合、そこから軽快する時には、心の状態と身体の状態が殆ど間隔を置かずにシンクロしていることに気付く場合もあるけれど、普通はそれほどリンクしているように感じない ものだと思います。


また、幸福感は状況によって変わることもあれば、同じ状況でも幸せに感じる方と不幸せに感じる方もいるでしょう。

いろいろです。


出だしから、「答えの無いことに対して書き始めてしまった・・・」と感じつつ、それでも何かしら気付きがあるかもしれません。これから書くことによって私自身が得られるものがないだろうかという期待もあります。(この時点では構想無し、数行後には完結してしまうかもしれないという、いつものパターン・・・)


友人知り合いを見ていますと、大多数が

「お金に恵まれる」=「幸せ」だとは思っていないような感じではあるものの、毎日何処からともなく送られてくるEメールの表題を見ていると、「リッチが勝者で幸せな世の中」と断言されているような感じの内容が非常に多いです。 (ホームページでメールアドレスを公開しているとこんなものでしょうか?)


もちろん、美味しいご飯を食べて幸せな気持ちになるためには、大多数は「お金」が必要となりますから、お金に恵まれていないばかりに幸福感を味わう機会は少なくなってしまうのかもしれませんが、それにしても有り余るほどのお金は必要ありません。

ただ、ここ10年ほど日本の自殺者は年間3万人を超え続け、それは2月3月の決算時期に集中していることからも、金銭的に余裕がなくそれを苦に自殺するケースが多いのは確かで、不幸の入り口となってしまう大きな問題でもあります。


以前、仕事をすることに生きがいを感じていた私は、「仕事が趣味です」なんてことは言わなくても、実際楽しくて楽しくて、仕事以外はどうでも良いと言わんばかりの状況で、家族や友人と話をしても仕事のことばかり。聞かされるほうは苦痛だったろうけれど、仕事のことばかり考え、仕事に殆どの時間を費やしていた私にとって、頭の中は何か他の事を話すような構造にはなっていませんでした。あまり寝ていなかったし、運動もしていなかったせいで身体はボロボロ、僅かな睡眠時間に夢の中で仕事をしているのは当たり前。誰かに言われるまでもなく自らの身体と精神を酷使し続ける日々。でも、楽しくて幸せな毎日だった。


しかし、私には家族がいるというのに、いつまでも自分ばかり楽しんではいられない。

「多分、近々気が狂ってしまうか、死んでしまうのでは・・・?」

と、家族にとって良く無い方向に突き進んでいることを徐々に自覚しだす。

遥か昔、眼が一時的に見えなくなった時、上司に呼ばれ「仕事のセイじゃないよね?」と言われた時が蘇る。1月1日(もちろん休日)に仕方なく仕事に出かけた私の眼が見えなくなったのは、仕事のセイでなければ何のセイだというのか? ともかく、身体を壊しても良いことなど一つも無いのは確か。


家族が幸せで無いのに私が幸せなはずも無いと考えて方向転換、ある程度余裕を持って事に当たることにしたものの、自分だけの幸せ実現と、家族や周囲も含めた幸せ実現とではまるで次元の違う話。

でも、いつも笑っているだけで幸せな気分になれるような、極めて単純なものかもしれないと最近は思います。


家族など自分以外との関係において、喜怒哀楽は相手方の言動によって大きく左右されるように感じてしまいがちですが、その直前の自分の言動に起因していたり、その直後の言動がその後の行方を大きく左右します。

楽しい話題であれば、どんどん話は楽しくなり、怒りに対しては怒りが帰ってくるという、増幅するような傾向にあるのではないでしょうか。このように考えると、どのような状況であれ、自分のターンで良い方向に切り替えることによって、その後の状況が良くなります。

自分以外の誰かが幸せになるように仕向けることによって、自分にも帰ってくると言えるのではないでしょうか。


心配ごと

「楽観主義が良い」というのは、多くの人がそうでないから言われるのでしょう。

他人からしたら取るに足らないような問題であっても、いつまでも不安が拭えない場合もあります。

この問題さえ解決したら・・・ と、解決したところで次々に問題は降りかかり不安が尽きることはありません。

他人にとって、そのような不安・悩みを聞くことはできても、真剣に取り合うに値しないと感じられてしまう程度の問題(大抵そうだと思う)であると、本人のようにいつまでも心に留めておいてはくれません。例え、自殺してしまいそうな勢いであったとしても、「なんでそんなことで死のうなんて考えるの?」と、客観的に見ると大した問題ではないから、気持ちに大きなギャップが生じます。


どんな難問であれ、全力を尽くして取り組み、それが解決したときには「幸せ」な気持ちになるでしょう。だから頑張るのかもしれません。

しかし、問題が解決しなければ長い間頭の中でモヤモヤすることとなり、また、成功したとしても、そのようなことの繰り返しでは息が切れてしまいます。

でもだからといって、問題から逃げてばかりではいけません。時に積極的に受け入れ、全力を尽くすのも良いでしょう。ただ、全てにおいて全力投球だと疲れるので、緩急をコントロールするクセを付けた方が良いのだと思います。

成否についてが大きく悩めるところですが、人生山あり谷あり、何でも上手くいく人なんていないし、失敗から学ぶこともあると考えて気持ちを切り替える必要があります。

 

なお、イライラするのは良くないですね。

これまで、イライラして良かった事なんて、何かありますか?

百害あって一利なし!


お金

「お金さえあれば幸せ」ということを否定できるほどお金持ちになったことがないのでよく分からない憧れの境地ですが、お金は安定しません。安定していると言われていた企業でさえ明日はどうなるのか分からないですし、経営者ともなれば苦悩も多くなってきます。大きなリスクを背負ってでも大企業を目指すのは、お金以外の楽しみ(経営の楽しみ)があるからなのかもしれませんが、多くの自殺原因となるのもお金絡み。幸せと不幸が表裏一体のギャンブルのようであり、確実性が低いと言えます。

逆に、お金が無いと不幸せかどうかというと、そんなこともないような気がしますが、お金に執着がある人ほど財産が目減りした時の落胆は大きくなります。


普通が一番?

平凡な暮らしが幸せなのだろうか? まぁ、今では何が平凡かも分からない状況であるけれど、毎日生きているだけでも幸せな感じはするし、以前に長年患った腰痛(腰椎椎間板ヘルニア よりもっと酷い状況)から解放された時には、とても幸せに感じたものです。やりたいことに全力に打ち込めるならそれは幸せだし、ゆっくりとコーヒーでも飲んでくつろげる時間などがあれば、それが身体に良いか悪いかは別としてまた幸せだと思います。

豪邸に住まなくても雨漏りさえしなければそれなりに快適だし、欲を言えば自然が一杯で静寂、なのに虫は少ないような環境であれば心も安らぐだろうと思います。


しかし、ある状態が苦痛な人と、そうでない人とではストレスの度合いが変わってくるように、幸せの度合いは変わってきます。


〜若かりし日、東京にて〜〜〜〜〜


上司:「どうして福井に帰りたいんだ! 出世したくないのか!!」


私:「満員電車が嫌なので・・・・」


上司:「はぁ!?」


上司:「なんだそりゃ・・・」


上司:「だめだこりゃ・・・」


上司:「はぁ? ハァ? ブツブツブツブツ・・・」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


とまぁ、人には分からないものですが、人それぞれ。1年間東京で暮らしましたが、朝の通勤電車で2回も痴漢(しかも加害者は男性、そして一人は若い外国人・・・)に遭えば嫌になるというもの。あれは怖い、怖くて反撃できない(汗

それに正直に言えば、出世にも興味が無いという・・・

偉くも無いのに偉い立場に立つとえらい疲れる、そんなことない?



幸せは比較するもの?

幸せを感じるのは自分以外の何者でもないため、他人の幸せと比較できるものではないように思います。

あの人はこうだ、この人はああだと他人と比較して自分で勝手に幸福感や不幸感を満喫するのは勝手だけれども、表面的に見るだけでは他人の努力や苦労が分からず、自分の現在地を見失っていることになります。そして大概は自分が羨ましいと思う人と比較してしまうため「上には上がいる」ということを思い知らされてしまいます。

どうしても競争・比較をしたいのであれば、自分が最大限の努力を払った結果であっても勝敗が分からないような相手に対して勝負を挑むべきです。オリンピックのようでいて頂点を目指す必要が無いのがよく、結果に対しても満足できるものでしょう。

ま、大きな満足を得なくても、ほんの少し、普段見過ごしているようなことであっても幸せは得られるものです。私などは上に書いた「腰椎椎間板ヘルニア上級版」で手術をして退院した時、10年以上も苦しんだ腰痛から解放された嬉しさは、今だって充分に喜べることだし、子どもを抱きかかえた時に「重たくなったなぁ」と思う時や、畑で野菜が芽を出してきた時、他にも様々な場面で 小さな幸せを感じることができます。小さな幸せ・・・ といっても、少しだけ幸せというわけではなく、十分に幸せを感じることができます。要は気付くかどうか。

幸せは、あくまでも自分が満足しているかどうかによるのではないでしょうか。

何事も他人と比較するのなんてやめて、どうしてもというなら昨日の自分と比較してみて、より良い今日にしてみよう!


人に認められる

普段、私はあまり口に出して人を誉めたりはしません。

だけれども、「人に認められたい」という欲求は誰にでもあるものなので、本当なら誉めるべき時には口に出して誉めるべきだと思う。毎日誉められているような人は「うざったい」と感じるかもしれないけれど、そんな人は稀だろう。

誉めるのがなんだか恥ずかしいなどと思っている場合ではないような気がしてきました。実践を心掛けます。

 

ところで、人間関係が良好で誰からも好かれるような方は、「良いところしか見えないメガネをかけている」と言われる場合が多いです。

気が付けば「悪いところばかり見えてしまう」状態に陥りがちですが、無理やりにでも人や物の良いところを見るように心がけると良いのだろう・・・  (と、自分に対して何回も思う。)



公平か

そもそも公平でなければ幸せも何もあったものではない。なにかしら不公平だと感じた場合、舞台から降りるのも一つの手だと思います。また、逆の場合も同じ、相手に対して不公平な状況を展開するのは良くないこと。


知らない幸せ

マスコミの情報が正しいのか、その他の情報が正しいのか、情報がありすぎて何が本当なのか分かりにくい世の中だけれども、本当のことを知らないほうが幸せということも有り得ます。

まぁ、知ろうとしても分からないことばかり、世の中は知られてはならないことが多いのです。

・密室の政治⇒ 悪いことばかりではありませんが、真実を追究する人は当然反発。今も独裁政権にありがちだけれど、必ずしもそこに暮らす人々が不幸だとは言い切れない。報道抑制必須など傍から見ると自由を削がれた感じだけれど、財政・外交面において成功する可能性大。うまくやれば国益向上に繋がります。

・核密約⇒ 国民の代表として最善の決断を下したのでしょうが、民主主義の難しさが浮き彫りとなるこちらも密室の政治。まぁ、そんなものなのでしょう。


健康食品などは真偽によって健康状態に影響を及ぼす可能性があるため、できるだけ情報を集めたいところでしょうが、頑張っても有益な情報に出会える確率は低いというのは私の実感。 実際に試してみないと分かりません。

一方で、知ることが難しいからといって、「知らない」を当たり前だと割り切ってしまうのは考えものです。

普段、常識だと信じている事柄などは、その確信に基づき自分の振る舞いを決定付ける拠り所となり、結果として未来の自分を形成する原因となります。正しい情報を携えて今を生きた場合と、逆に間違えた情報、又は操作された情報に翻弄された場合とでは、未来の自分や自分を取り巻く環境、或いは周囲に与える影響は全く違ったものになってしまうでしょう。物事を正しく捉えることは重要です。そのためには正しく生きることを徹底しなければならないのかも? と感じる今日この頃。


健康である幸せ

上の方で書いた、「健康で幸せな毎日を!」。分かりにくいでしょうか? 健康の素晴らしさ。

インフルエンザに罹って、頭が枕に触れただけでも痛かった時と比較すれば、普通の風邪は大したことなく、思いっきりスネをぶつけても、ヘルニアの持続する痛みにはかなわない。このように比較してみるだけでもある程度気持ちが和らぎますが、もし今現在健康であるならば、多くの苦痛から開放された状態だと言えるのです。

しかも、多くの方が健康であれば、もしかしたら財政が持ち直すかもしれません!


もちろん、「幸せ」を感じるのは身体ではなく心なので、心も健康である必要があるでしょう。

今、健康であるならばそれを感謝したいものです。

身体の各組織・器官は意識しなくても健康になるために日々働いています。ありがたいです。


「会うは別れの始め」であり、人生は無常なものです。遠方へ引っ越す場合などはまだ交流もとれますが、誰もがいつ人生の終わりを迎えるのか分からない状況であり、これは避けて通れません。

自分の「死」というものについて、恐怖を覚える場合とそうでない場合とがあるようです。

死んだらどうなるのだろう?と考えても自分の手の届かない場所での出来事に干渉はできませんので、今が大切です。

「生きているだけで丸儲け」だとシンプルに考えればそれだけで幸せ+1ですが、できれば健康であったほうが自分も周囲も幸せ+3くらいはカウントできるのではないでしょうか。


運命

全てが運命、輝かしい未来に向けてのステップだと考えれば、幸も不幸もみな幸福の範疇に入ります。

運命というとオカルトっぽいから、ポジティブシンキングと書いたほうがいいのか、ともかく、今が幸福だとすると、それは過去の失敗など不幸だと感じた出来事を経て実現しているのは間違いありません。気楽にいこーよ! って話。


なお、個人的には「未来は決められている・・・」 なんてことは在り得ないと思います。未来・将来を(占いや特殊な手法で)知りたいというのもおかしな話。今この瞬間に何をするかが大切なのでは?

人生の幕が閉じるのは何時かなんてそんなことは分かりません。寿命なのか、事故なのかも。

仮に、明朝に命の終焉を迎えることを察知したとして、それまでの僅かな時間に何をするのか? 残された人達のことも考えなければならないしバタバタになってしまうかもしれませんが、そんな時、いつもの”日常”を送ることができるなら、元々が幸せな毎日を送っていたということなのだろうと思います。

今日は最後の一日かもしれないし、途中の一日なのかもしれません。でも、一日の大切さはどちらも同じであり、その一日を良くするのも悪くするのも自分次第だということが認識できれば、取るに足らない物事に思い悩むこともなくなり、そして、普段は「嫌な事」と感じてしまうような偶発的事故などのハプニングでさえ、退屈な人生を色鮮やかに演出してくれる有り難いイベントだと感じることが出来るのではないでしょうか。


なんにせよ、人生は短いもの。

明日に利権や怨念を残すより、今が最後だと思って全力で当たった方が好い!!


感謝、努力、愛情

いろいろと羅列してみると、幸せは黙っていてはやって来ないのかもしれないような気がしてきました。

でも、足元を探せば沢山転がっているようなものでもありそうです。

それと、「自分だけ良ければ・・・」などとエゴを出してもその場限り、結局幸せは逃げていってしまいそうです。

「幸せ」も「良心」のようにレベルがあって、過程で人を貶めて得た幸せと、他人の幸せが私の幸せと思い何か活動をして幸せを感じている人とでは、自己満足度は同じであっても、周囲に対する影響は全く変わってきます。

幸せは与えられる場合も多いのだから、今を感謝し、喜んで与える側に立つことも必要でしょう。

「他人の不幸が私の幸せ」となるような事態に直面したら、その幸せを辞退するのも良いかもしれません。それも幸せに繋がるでしょう。 ⇒その気持ちが私達を幸せにする!? とにかく感謝!


持続可能性の追求、全体の調和

持続可能性の追求などに取り組むコミュニティー(エコビレッジ)というものがあります。一般的な社会の在り方とは少し違う(といっても、昔はどこもこうだったのだろうと思いますが)ので、人によっては”怪しい集団”に見えるかもしれませんが、私は非常に興味を持っています。世界的に多くのコミュニティーが存在し、日本にもありますので、インターネットなどで調べてみると分かるのですが、これからの幸せに繋がる活動をしています。


正直に

以前、「貴方が正直だということは分かった、だけどそんなんじゃ世の中上手く渡ってゆけないよ」 と、年配の方からアドバイスを戴く機会があった。心配してのことだろうが、当時既におっさんな私だ、そんなことは分かっていた。しかし、これまでそうすることによって特に残念な結果に終わったと感じたことは殆ど無いし、心が気持ち悪くなることも無い。

ウソをつかれると困ったことになる場合もあるので、私はウソをつかれたくない。誰もがそうだろう。だったら、ウソを無くすためにまず自分が正直になるべきだろう。いきなり全部じゃなくても、できるところから・・・ そうすると、当たり前ですが、世界は少しずつウソの無い世界へと変わってゆく。

○ウソをついてはいけない、×赤信号、皆で渡れば怖くない ←基本幼少期向け


自分を知ろう

「私はこんな人だ!」 と、ある程度は分かっていても解決が難しいもの、それは弱点。

船井氏は「長所伸展」かつ「弱点放置」のポジティブ志向。それも良いかもしれないがしかし、自分を苦しめるのは弱点の存在だと思えてならない。

例えば、何事においてもついつい人と比較してしまうのは自分中心なところが有るからで、比較することに意味など無いのに全体を見ることができていないから分からなくなってしまっている。こういうことは、それを弱点だと把握して改善するように心がけないと、心は様々な場面で安らぎを得ることが難しくなり、暗い影を落とし続けるスパイラル、同じことをいくらでも繰り返すのだ。


ともかく、まずは自分を知らなければならない。身に降りかかる難事の原因が自分の与り知らぬ所にあると考えてしまっては、自分を知ることはできそうにないので、注意深く観察してみよう。

「もしかしたら、今起こっている良くない事象の原因は自分にあるのかも?」と考えるようになるだけでも、不思議なことに人生から「怒り」というものが殆ど無くなってしまう。


弱点といっても些細なこと。今はたとえ致命的な弱点であったとしても、気付くことができれば修正は容易い。

世界のためだなんて大そうに考える必要は無い、自分のために自分を見つめ直してみよう!


常識いろいろ

人と関わらなければ孤独で寂しいものです。しかし、相手方との考え方が大きく違っていたりするとストレスが大きくなりますので、できれば価値観の合う方と一緒に居たほうが好い・・・ のだろうか?

自分の常識が通じない、相手の言い分が身勝手に感じたり古臭かったり、個人どころか会社全体の体質が・・・ 等々、いろいろあるのでしょうが、常識なんて人それぞれ、相手のことをオカシイと感じた場合、自分の常識だって相手にとってはオカシな話。「今の若い者は・・・」というのも、自分の価値観に照らし合わせた結果であって、若者からすると「今の年寄りは・・・」となるのでしょう。

自分が絶対に正しいと考えてしまうとそこで思考がストップしてしまうので、気楽に「いろいろある」と考えるといいと思います。とりあえず相手方の常識に合わせてみると自分の考え方も変わってくるもの。価値観が違えどそれぞれが正しいと信じている事柄なのだから、得るべきものが見つかる可能性は高いし、様々なパターンを経験すれば、そもそも「これが絶対」とはならない世の中に気付くのではないでしょうか。


相手の常識を自分色に染めようとしても無理があるし、自分が相手の常識を受け入れることもなかなか難しい。何か企てたとしても失敗してしまうのがオチですが、自らが様々な常識を経験し味わってみるという感覚で臨んでみるのも良いのではないでしょうか。

 

その場はよくても

感情に任せ言いたいことをそのまま言っちゃうとスッキリ。

逆に言われた場合、どう思うのか?

相手方の自分に対する現状認識が不完全である場合が多いのではないでしょうか。

イザコザの原因なんてそんなもの。と、年齢を重ねるに従い色々気付くことも増えてきます。

もちろん、お互いが100%理解し合えているなら何でも言っちゃえばいいのかもしれませんが。

 

 


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